太陽が夕日に変わるころ
この頃は日が長くなって、5時半を過ぎると2階の窓から見える山々が橙色になる。
平成27年くらいの、ちょうど今ぐらいの季節に、鹿児島の私の家に東京からI君が遊びにきた。彼は、私が上京したての頃バイトしていた武蔵境のフィットネスジムに、私が辞めた後、入れ違いで入ってきた。一緒に働いたことはないのだが、何かの飲み会で会い、話が弾んだ。
私はそのバイト先で、2つ年上の受付の女の子を好きになり、告白して振られ、ある先輩とひょんなことで喧嘩してバイトを辞めたのだが、その後入ってきた彼も、私と同じ子を好きになり、振られ、ある先輩と喧嘩して辞めるという偶然にも同じレールを進んだ。最初の頃の二人の話題は、もっぱら受付の女の子が見る目がないということと、先輩の悪口だったように思う。そうやってとても仲良くなった。
鹿児島に来たI君と鹿児島の観光地を回った。海沿いの温泉に連れて行った帰りに、海岸沿いを車で走っていると、時計は5時半になった。私は運転しながら、海に浮かぶ低くなった太陽を指差し、もうすぐ太陽が夕日に変わるねと言った。すると、笑うと目がなくなる彼は「太陽が夕日に変わるという言い回しは、いいね。すごくいい。」とやけに気に入ってくれた。目はなかった。
実家に着いたら、東京から来た息子の友人をもてなそうと父が伊勢海老を何尾も仕入れてきて、母が半日かけて食事の準備をしていた。食卓は伊勢海老の刺身や味噌汁などなどで埋め尽くされた。父と、母と、祖母と、私とIくんが席につき、それでは食べようとするときに、彼は、私に耳打ちした。「俺、海老アレルギー」
家族みんな大笑いし、Iくん以外で伊勢海老を食べた。
いつも太陽が夕日に変わる時間になると、この言い回しを気に入ってくれたの友人の表情と、伊勢海老のエピソードが思い出される。
太陽が夕日に変わる頃、今日はふと祖母の顔を見たくなり、下の祖母の部屋に向かった。
部屋に入ると、ここも橙色の夕日に包まれていた。古い足踏みミシンや桐箪笥も、この時間はその古さを増す。真ん中にはこの部屋には似合わない介護レンタルしてきた最新式ウォーターベッドが置かれ、祖母が寝ている。夕日は祖母の顔にあたり、その皺を余計に深く浮かび上がらせていた。自慢の福耳はたらんと枕に垂れている。祖母は105歳になった。
私が近づくと、祖母は目を覚まし、とろんとした顔をして、自分が生きているのか死んでいるのか確認するように大きく瞬きをし、あたりを見回し、私に気がつくと、105年が刻まれたシワを全部使って微笑んだ。わたしも思わず微笑んだ。
end
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