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親孝行は、まだ間に合う。

以前、あるお葬式にお参りさせていただいた時のことです。

その時は、お坊さんとしてではなく、一般会葬者としてお参りさせていただきました。開式の少し前に着いた私は、一番後ろの席に座り、なかなか見ることができない後ろからの景色をキョロキョロと眺めていました。

正面にはお花が一面敷き詰められた立派な祭壇があり、中央に阿弥陀仏(あみだぶつ)の絵が掲げられ、その下に亡くなられた知人のおじいさんの写真、その手前に棺が置かれていました。コロナが流行る前でしたから、多くの椅子が用意されていました。浄土真宗(じょうどしんしゅう)のお葬式のようでした。

開式の時間になり、「それでは導師入堂です」とアナウンスがはいりますと、導師をつとめるお坊さんが中央に用意された道をゆっくりと祭壇に向かって歩いていかれます。その速さはとてもゆっくりで、腰も60度に曲がっている様子でした。お顔を拝見したら90歳になろうかというご高齢のお坊さんでした。

ゆっくり席に座られ、ゆっくり「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)・・・」とお念仏を称え、ゆっくり有難いお経をお勤めなさいました。読経が終わるとご法話です。立ち上がり、会葬者の方を向き、お話をはじめました。その最初の一言目で、会場が凍りつきました。

お坊さんは、閉じた中啓(ちゅうけい・お坊さんがもつ扇のようなもの)を使って「おまえさん、おまえさん」と前に座っていた60歳くらいの喪主の長男さんを招き呼ばれました。顔を上げた長男さんに「お前さん、親孝行したか?」とおっしゃられました。長男さんは、がくっと肩を落とし声を出し泣きはじめました。シーンと静まる会場に、ずいぶん長く感じる5秒ほどの時間が流れました。

実は、この長男さんは、現在鹿児島を離れて家族と一緒に東京に住んでおり、仕事も忙しく滅多に帰省ができなかったそうです。今回も、「お父さん亡くなったよ」という知らせを受けてから、飛んで帰ってきたといいます。親の死に目にも会えなかった長男さんの急所をついた言葉でした。

しかし、この後のお坊さんのお話がとても有り難かったです。お坊さんは、泣かれる長男さんに優しくこうおっしゃいました。

「親孝行はな、まだ間に合うぞ。」

長男さんの顔が少し上がります。お坊さんは言葉を続けられます。

「亡くなったお父さんは、今、浄土へ生まれて仏さまになられたんだ。あんた念仏を称えたことがあるか?これから念仏を称えながら生きていきなさい。あんたが念仏する姿を一番喜んでいるのが仏さまになったお父さんだ。だから、親孝行はまだ間に合うからな。」

凍りついていた会場の空気が解け、小さな声ではありましたが、会場のいたるところから南無阿弥陀仏・・・とお念仏が聞こえました。

とても印象に残ったご法話でした。

仏さまになられた方は、残してきたものたちを心配し、どうか本当の幸せを得てくれと願われていらっしゃいます。
お念仏には、称える方の人生を虚しく終わることのない実りあるものに変え、本当の幸せを与える大きなご利益があります。
ですから、残された方々が念仏を称え、そのご利益にあづかるならば、仏さまになられた方々は、その姿を見て、「よかった」と安心され、喜ばれ、護ってくださるのでしょう。

浄土真宗をおひらきになった親鸞聖人は、

南無阿弥陀仏をとなふれば
十方無量(じつぽうむりょう)の諸仏(しょぶつ)は
百重千重囲繞(ひゃくじゅうせんじゅういにょう)して
よろこびまもりたまふなり

浄土和讃

南無阿弥陀仏と称えたならば、ありとあらゆる世界の仏さまがたが、幾重にも囲んで、よろこび護ってくださると示されています。

親孝行はまだ間に合うというお話でした。

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