1. HOME
  2. ブログ
  3. エッセイ
  4. 料理教室

料理教室

3年ほど前、それまで病気ひとつしたことがなかった母が癌になり、ヨロヨロしていた父と祖母に代わって、一通りの家事が私に回ってきた。ゆっくり漕ぐ自転車が大変なように、嫌なことを嫌々やるほうがつらいものであるから、友人を誘って料理教室に通い、勢いよく漕ぎだすことにした。

料理教室は、鹿児島中央駅に隣接された商業施設の4階に入っていて、屋上には観覧車もある。私たちはお寺の仕事をしているものだから、週末は法事が立て込むし、夜は急にお通夜が入ることもある。それで、おおかた平日の午後のクラスを受けることになったため、レッスンは貸切状態だった。

最初に教えてもらった料理はボロネーゼ。ヴィシソワーズという聞いたこともない冷たいスープと、マリネを添える。目の前の広い調理台には、使ったことのない調理器具や材料、名前も知らない調味料がずらっと並べられていて、未知の広大な海のようだった。泳ぎ方を知らない私は、先生のおっしゃるままに、肩幅で包丁を握り、材料を切り、調味料を加えていった。先生が2ミリくらいの厚さに切ってくださいといわれるから、定規ありますかと聞いたら、笑っていた。そうやって、気がつけば、目の前に美味しいボロネーゼが完成していた。

習ったボロネーゼを早速家で作ってみようと、もらったレシピを手に買い物に出た。1軒目のスーパーでセロリやローリエやケーパーなるものがなかったので、一つ遠くのスーパーまでいった。セロリなんかびっくりするくらい値段が高いのである。勇気を出して買った。コンソメは固形のものが家にあったが、レシピには顆粒とあり、顆粒のものをまた買った。合計金額が、ジョリーパスタでボロネーゼを食べる3倍の金額になってギョッとしたが、立派な主婦たちと肩をならべて、スーパーでカートを押すのも、なんかいいもんですね?

家に帰って、料理教室と同じように、机の上に材料や調味料をずらり並べてみた。見たことある調味料ばかりだ。もう未知の海ではない、一度泳いだ海である。レシピはある。勇気を出してドボーンと1人で飛び込んだ。しかし思い通りいかない。肉汁がレッスンのときの5倍くらい湧いて出てきたり、赤ワインを入れたら変な色になってベチャベチャなったり。「あれ?おかしい」「あれ?おかしい」がたくさん出てきて、結局2時間くらいかかって出来上がったボロネーゼは全然美しくなかったけれど、父はうまいうまいと言って食べてくれた。シンクには洗い物がドーン。それから3日間ほどボロネーゼが続いた。3日目にはようやくちゃんとしたものが作れた。

その次に習ったのが唐揚げで、その次が筑前煮と炊き込みご飯だったように思う。この3品だけよく作ったから覚えている。

家事に追われる日々は意外とすぐに終わりが来た。死ぬと思っていた母が奇跡的に生還し、父と祖母が亡くなった。住職を引き継いだため仕事の量が増え、料理をつくることもなくなったが、それでも月に1回、いまだに料理教室に通っている。

今は、料理を作る人の大変さを知るいい機会になっている。

end

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。