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目に見えないものが現われることがある

 お寺の裏山は、ウグイスがたくさん住んでいることで近所の方々には少し有名ですが、今年はどこか静かだったように思います。

 さて、あるところに、俳句や詩を書きそうな白髭を蓄えたお洒落なおじいさんがいらっしゃいました。そのおじいさんは、山奥でホーホケキョとなくウグイスの声を聞いて問わず語りをされます。「あのウグイスたちは自分の力で鳴いているのかのう。。。?」と。そして徐にその問いに自分で答えます。「あのウグイスたちは自分の力で鳴いているのではないですよ。もし自分の力で鳴くのであれば、冬でも鳴きますからね」と。ウグイスは、寒い季節に移動する鳥ではありません。そして続けてこうおっしゃいます。「あれはね、春の温もりが、ウグイスをホーホケキョと鳴かせているのですよ」と。

 私はこのおじさんの詩的な表現に聞き入ってしまいました。春の温もりがウグイスを鳴かせている。もっと言えば、目に見えない春が、ホーホケキョという声となって、その姿を現しているのでしょう。

 浄土真宗(じょうどしんしゅう)では、南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)と称える念仏を大事にします。この念仏について、浄土真宗をひらかれた親鸞聖人やそのお師匠である法然聖人は教えてくれます。

「あなたの称えた念仏は自分の力で称えているのではないですよ。今あなたを包み込んでいる阿弥陀仏の温もりによって、称えさせられているのですよ。いわば、目に見えない阿弥陀仏が、南無阿弥陀仏の声となって、その姿を現しているのですよ。」と。

 私たちはこの目になかなか、仏さまを見ることができません。華厳経(けごんきょう)というお経には「心は巧みな画師(えし)のごとし」と説かれ、私たちが見ている世界は、この心が描き出した世界を見ているのだよと教えてくださいます。同じものを見ても、皆それぞれ捉え方が違うことは確かによくあります。そして、その描き出す心が煩悩(ぼんのう)というもので汚れているから、この目は不確かであり、仏さまの姿も映らないようです。

目に見えないものが現われることがあります。姿のみえない阿弥陀仏は、この口から念仏の声となって、私たちの人生をご一緒くださいます。

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