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うれしくって泣いちゃうよ。そして帰国へ。

令和6年9月28日から10月15日まで、ジョージアとアルメニアを旅しました。この記事は、その旅行記の中の一つです。

朝早く起きて、今泊まっている宿からバスを2回乗り継いで、首都エレバンの外れにあるゲルガド修道院を見に行く。昼過ぎに到着。駐車場はアルメニアナンバーの車で一杯。中に入ると観光客で一杯。
ゲルガド修道院は、巨大な一つの岩をくり抜いて巨大な信仰空間を造っている。細部の装飾まで掘り出して凝っている。その岩にピタッと密着して石造りの教会が建っている。アルメニア人たちはみな、教会に入る際には十字を切って、手に持ったローソクを台にさして、何分もお祈りをしては十字をきり、教会から出る前にも振り返っては十字をきる。昨日もあまり寝れず、寝ぼけ眼で一通り見て、来た道を帰る。

宿に帰りついたのが18時で一度寝る。21時半に起きて、晩ご飯を食べに行く。カルボナーラとビールを2杯飲んで、もう一杯飲める店を探す。

この街のシンボルとも言える歌劇場の前のtumanyanストリートを東に少しいったところ、数段地下に降りたところにあるBAR、「the code」に入った。中央にコの字のカウンターがあり、テーブル席が2つと、バーカウンターの後ろのライブができる部屋があった。20人くらい地元の若いお客さんがおり、思い思いにお酒を飲んでいた。

後ろの部屋では女性シンガーが1人のお客さんにむけてライブをしている。漏れてくるその歌のリズムに合わせて、バーテンダーはコの字のカウンターの中で踊っていた。彼は髭を密に生やしていて、名前をバハクと言った。カウンターには30代のくらいのお兄さんが2人とお姉さんが2人座っていた。私はその2人と2人の間に通された。座るやいなや言葉を発する前から、さっと人数分のショットグラスが並んで、手際よくお酒が注がれ、カウンターのみんなでとりあえず乾杯。

「どこから来たんだ?」「日本から来た」「そうか!よく来たな!」とまたずらっとショットグラスが並び、乾杯。「名前はなんていうんだ?」「nobu」「そうかnobiかよろしくな!」とまたまたショットグラスが並び、乾杯。ものの5分で出来上がってしまった。それからバハグとカウンターの4人と一緒に、昔から知っている友達みたいにベッタベッタの近い距離ではしゃぎ、みな同じペースで酔い潰れた。

裏の生演奏のライブが終わってしばらくした頃、バハクがパソコンを操作して、店のスピーカーから大音量で音楽を流し始めた。その曲は、いきものがかりの「ブルーバード」だった。一瞬、日本にいる錯覚に陥った。曲のサビがくる。「はばたいたら戻らないといって 目指したのは~」と流れる。するとお店にいるみんなが、急にスイッチが入ったかのように、会話を止めて「アウォイアウォイアニョソラー(青い青いあの空)」と、立ち上がったり、手を広げたり、自分の世界に入ったりして、大声で歌いはじめた。聞けばこの曲はアニメのナルトの曲で小さい頃から知っているのだろう。その次に流れたのは、進撃の巨人の曲だった。今度は、みんな立ち上がって胸に手をあてて、敬礼をして「シンジョーヲシャシャゲヨ(心臓を捧げよ)」とポーズを決めた。アニメソングだけでなくシティーポップもこちらで流行っているそうで、ユーミンの「あの日にかえりたい」も、松原みきの「真夜中のドア」も流れた。後ろを通ってトイレに行く人らは、私の肩をたたき「そうか。お前、日本人か。日本、大好きだ」と言ってハグしてくれる。

もう飲めないまで飲んだ3時前、「I LOVE JAPAN〜」とお店のみんなにもみくちゃにハグされて、ほっぺにキスされたりしながら、店を出た。海外を旅して、これまでも日本人で良かったと思ったことは数知れないほどあるけれど、今日はことにうれしくって、泣いちゃいそうになった。会計がたった1000円だったから、チップで2000円置いた。

店を出るとエレバンの街は雨に濡れていた。とても美しくあたたかい夜だった。こんな夜はサニーデイサービスを聴きながら帰る。耳にイヤフォン、頭にフードを被り、ポッケに手を入れてしばらく歩いていると、なぜだろう、涙が出てきた。雨か涙かわかないものをシトシト足元にこぼしながら、この頃死んでしまった親しい人らを一人、また一人と思い出して、「ご臨終です」とか「心臓が動いてない」と、誰か彼かが放り投げた言葉を思い出したりして、あれはもっともっと悲しむべきことだったんだなぁと、ホロホロと涙を流しながら帰ったのである。明日の夜の便で帰国するアルメニア最後の夜。

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