wantがいっぱい

如来の作願(さがん)をたづぬれば 苦悩の有情(うじょう)をすてずして 回向(えこう)を首(しゅ)としたまひて 大悲心をば成就(じょうじゅ)せり (正像末和讃)
バックパッカーという言葉を聞かれたことはありますか?一つの旅のスタイルで、バックに荷物をいっぱい詰めて、旅行会社を通さずに、低予算で現地に溶け込みながら自由気ままに旅をすることを言います。私の趣味がバックパッカーで、40カ国回りました。
近頃は海外でもシムカードさえ入れ替えたら日本と同じようにスマートフォンを使えるものですから、海外旅行が非常に楽です。しかし、私が旅を始めた15年前はそうはいきませんでした。携帯電話はガラケーで、WIFIも使えなかった時代。町に着いたら地図を買い、その町のいい宿やおすすめのレストラン、危険な場所、また次の街へのアクセスなどの情報は、村人に聞くか、ゲストハウスの宿帳(当時の安宿には、前に泊まった人が次に泊まる人のためにその町の情報を書き残した宿帳があった)を頼ります。まさにリアルロールプレイゲームをしている感じでドキドキでした。そのような状況ですから、一番大事なのは英語でした。
しかし当時の私は英語がまったく話せず、使えた単語は1つだけ。それが「want」でした。Wantは「したい・ほしい」を意味する単語で、wantのあとに名詞を置くと、ほしいという意味になります。ペンが欲しい「I want a pen.」、「I want a map.」地図が欲しい。またwantの後に動詞がくると、したいになります。〇〇へ行きたい「I want to go 〇〇」、水が飲みたい「I want to drink water.」、タクシーに乗りたい「I want to take a taxi.」、難しい単語のときは、携帯している辞書で調べます。このwantだけが自由に使えるという心許ない語彙力でしたが、でもそれでも一番最初のカンボジア、ベトナム、タイを2ヶ月間の一人旅では、ほとんど困らずに旅ができてしまいました。
その時に痛感したのは、普段日本語を話しているときには気づかなかったけれども、私の口からはこんなにも「あれがほしい。これがほしい。あれがしたい。これがしたい」が出ていただのだなということです。みなさんも普段は日本語で話しているからあまり気づかないかもしれませんが、話している言葉を英語に直してみたらきっと山ほどのwantを使っているかもしれません。
このWantが意味する「ほしい・したい」という心は、生きる活力になり必要な面もある一方で、苦しみの種になるといわれます。「ほしい」という思いがかなえば、もっと欲しい、せっかく手に入れたものを取られたくないという次なる欲に変わり、「ほしい」がかなわなければ、なんで手に入らないのだという愚痴や怒りにかわりっていき、そうやってずっと自分を不安にして苦しめていく煩悩(ぼんのう)といわれます。
旅によって、私の心には苦しみの種である煩悩・苦しみの種がこんなにもたくさん詰まっていることを知らされました。
浄土真宗をお開きになった親鸞聖人は、私たちが大切にしている阿弥陀仏という仏さまは、煩悩をたくさん抱えて、それによって苦しめられ続けるあなたがいたから現れた仏さまだよと教えてくださいます。
小さい頃から阿弥陀仏の存在は知っていましたが、私とは関係がない仏さまだと思っていました。旅に出て、自分の中が煩悩で詰まっていたことをしったときに、この仏さまは、私のために現れてくださった仏さまだったのだなという親近感が湧きました。
日頃生活をしていると煩悩によって苦しめられ、悩まされることが多いと思いますが、私たちのために現れた仏さまがいらっしゃることを喜ばせていただきたいと思います。
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