1. HOME
  2. ブログ
  3. 仏さまの話
  4. 決して離れない仏さま

決して離れない仏さま

私は今でこそ住職をさせていただいておりますが、小さい頃はお寺が苦手でした。高校から一人暮らしをはじめ、お寺から距離を置いていました。そんな私にこのお寺の仏さま・阿弥陀仏の有難さを私に教えてくれたのは、4年前の9月に亡くなった父でした。

父は、お寺とは全く関係のない大分の家で生まれ育ち、若い頃は郵便局につとめていました。父の父が亡くなり、葬儀を勤めた僧侶が法話でおっしゃった「生まれたものは死にますよ。あなたも死にますよ」との言葉が胸に響いて、仏教に興味をもつようになり、お得度を受けて、30代半ばで僧侶になりました。そして、鹿児島の薩摩川内市願生寺の一人娘であった私の母とご縁ができ、40歳で結婚し、住職としてこのお寺に入りました。

このお寺に入った頃は、法事を勤め、毎週の子ども会、仏教の勉強会、本堂の建て替え、納骨堂の建設、布教使としての活動、プライベートではお酒、ゴルフ、釣りにと、公私共に元気に充実した毎日を過ごしていたようです。

しかし、40代半ばで糖尿病の診断を受けますと、ここから風向きが変わり始めます。1日4回インシュリンの注射。55歳から人工透析。歳を重ねるにつれて、目の手術、脳梗塞、心臓のバイパス手術などたくさんの大きな手術をするようになっていき、頻繁に低血糖などで倒れるようになりました。体が痒くて眠れない夜も増えていきました。

「人生はグーで生きてパーで終わっていく」という言葉を聞いたことがあります。グーは集める。パーは手放す。オギャーと生まれ成長していくなかで私たちは体力や知識や経験、人間関係、財産・・・いろんなものを集めていくそうです。しかし、集めたものは、悲しいことだけど必ず手放すときが来るという意味です。病気をした父の姿をみていると、とても早いスピードで、さまざまなもの離れていっているようでした。それまで楽しんでいたお酒、ゴルフ、釣り、タバコをやめてしまいました。友人関係も希薄になり、もらう年賀状も極端に少なくなっていきました。昔頻繁に語っていたリタイアしたらキャンピングカーを買って日本一周に行きたいという夢も言わなくなりました。お寺の門徒さんは、住職よりも息子に法事をしてもらいたいという人が増えていきました。長年支えてきた母にも疲れが見えるようになっていました。

父は弱りながらも何とか日々、阿弥陀さまのことだけをしていました。法座が勤まるときには無理をして演台に立ち、お寺の新聞を出すときには乱文ながら一生懸命パソコンに向き合い、「この人生は思い通りいきませんね。阿弥陀さまはありがたいですね」といつも語っていました。

令和2年4月の入院が最後の入院となりました。足の壊疽した部分を切り落とす手術をうけました。指を2本切っただけで、思っていたよりも切る部分が少なく、早く退院できると喜んでいたのですが、思うように体調が回復せず、だんだんとご飯が食べられなくなっていきました。いよいよ9月に入ると、血圧が上がらなくなり、透析ができなくなったため、あと生きられるのは1週間ほどですとお医者さんから言われました。亡くなる前日、父の意識がはっきりしている時に、父と2人で最後の会話をしました。

「家に帰りたいな」と父が天井を見上げいいます。

「お風呂にはいりたいの?犬のアキちゃんにあいたいの?」

「どちらも違う。家の阿弥陀さまに最後に大きな声でお礼がいいたい。ここでは大きな声でお念仏できないから」

父には余命を教えていなかったのですが、自分の命が長くないことを悟ったのでしょう。私は、これが最後かもれないなと思い、なかなか聞けなかったことを尋ねてみました。

「親父はいつも阿弥陀さまがありがたいといっているけれど、阿弥陀さまの何がそんなにありがたいの?」

すると怪訝な顔を浮かべ私を一度見て、天井に向き直り、たった四文字「摂取不捨」と言い、あとは何もいいませんでした。これが父とした最後の会話になりました。

摂取不捨とは、摂取とは栄養摂取の摂取と同じ漢字で、自分のなかに取り入れるという意味があります。不捨は捨てないと書きます。自分の腕にとりこんで、決して話すことがない、どんなことがあっても離れないという阿弥陀さまの心を意味し、さらには、死ぬことはおわりではなく、お浄土というあたたかな阿弥陀さまの世界に生まれていくことであると教えてくれる言葉です。

父は74年の人生をかけて、私に大切なことを教えてくれました。「お前は今36歳か、いろんなものを握りしめているな。でも、その握りしめているものは、悲しいことだけど、それらは必ず離れるときがくるぞ。でも、阿弥陀さまだけはどんなときも離れることがなく必ずお浄土へ生まれさせてくださるから、阿弥陀さまはありがたいよ」と。

その教えは今の私にとって大事な教えとなり、今の私があるように思います。出会ったものは別れ、手に入れたものは手放していくこの世界のなかで、決して離れない阿弥陀さまがもうお一人お一人に届いて南無阿弥陀仏と声となってあらわれてくださっています。

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。