掲示板の言葉 令和8年7月
「不思議を不思議と喜ぶ」
私たちは誰もが、自分だけの「物差し」を持っています。身の回りのさまざまな出来事を、その物差しで測り、分類できたとき、私たちは「分かった」と言うのでしょう。 この物差しは、勉強をしたり経験を積んだりすることで少しずつ長くなり、より多くのものを測れるようになります。そして、テストで60点より80点、80点より100点を喜ぶように、私たちの日常には、「分からないことを悲しみ、分かったことを喜ぶ」という習慣があります。
ある本※に、このような文章がありました。 人間の体を科学的に分析して、人間が「何からできているか」を調べた研究があるそうです。大人の体は、大体37リットルの水と、石鹸6個分の脂肪、炭素、石灰、鉄などでできており、これらをすべてお金に換算すると、1,000円もしないとのことでした。続けてその本には、その事実は受け入れ難いことであって、「この命は千円どころか、お金では決して買うことのできない、値段なんかつけられないほど大事な命なのだと絶叫したい思いである」と。
私はこの言葉から、身の回りには「測れてしまうと寂しいもの」があり、人間の小さな物差しでは「測れないからこそ有り難いもの」があるのだと教えていただきました。
『仏説無量寿経』には、お釈迦さまが次のように説かれる場面があります。
「阿弥陀仏のもとに集まった菩薩の数は、到底数え尽くすことはできません。たとえば、一本の毛を百に細かく裂き、その一本の毛先で大海の水をひたし取ったとしましょう。あなたがたが長い時間をかけて数えたとしても、知ることができたのは、その毛先についた一滴の海水ほどです。知ることのできない世界は、まさに大海の水ほどもあるのです」
この言葉は、私たちの物差しがいかに小さなものであるかを教えてくれています。私たちのまわりには、自分の物差しでは到底測りきれない、大いなるものがあふれているのではないでしょうか。 不思議を不思議と喜ぶなかに、命の広がりがあるように思います。
合掌
※「子どもに聞かせたい法話」 仏の子を育てる会 法蔵館58頁



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