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掲示板の言葉 10月

「どんな賞品なら嬉しい?」そう聞くと、「貰えたものが嬉しい」と、涼しい顔で答えた。 『遊雲さんお父さん』の一節より

今月の言葉は、有国智光さんが書かれた『遊雲さんお父さん』という本に登場する会話をもとにしています。

有国智光さんは、山口県にある浄土真宗のお寺、長久寺の住職さん。そして、その息子さんが遊雲さんです。遊雲さんは、小学校6年生のときに小児がんを患い、15歳でご往生されました。『遊雲さんお父さん』は、そんな遊雲さんとお父さんとの日々や、親子の間で交わされた言葉を綴ったエッセイです。

もし自分にがんが見つかったらどうだろう、と想像すると、きっと愚痴や不安ばかりの本になってしまうような気がします。けれども、この『遊雲さんお父さん』という本には、不思議とそうした重苦しさがあまり感じられません。

龍雲さん親子は、小児がんに逃げることなく真っ直ぐに向き合っていかれます。生きている姿として病は特別なことではなく、その中を揺蕩いながら、「本当の幸せとはなんだろうか」を確かめていきます。その姿は「病と戦う」ではなく、「病を生きる」という表現が近いように思います。もちろん、抗がん剤による治療や手術はつらく苦しいものです。今月の言葉は、そんなつらい化学療法の最中に交わされた言葉です。

龍雲さんの作った標語が入賞し、賞品をもらえることになりました。そこでお父さんが何気なく「何がもらえるといい?」と尋ねます。すると龍雲さんは涼しい顔で、「貰えたも物が嬉しい」と答えられました。それを受けてお父さんは当時を振り返り、「今になって思えば、龍雲さんにとって、受けてきたすべての治療は、あるいは癌さえも“もらえたもの”だったのだろう」という言葉で、その章を終えられます。

賞品がどんなものであろうとも、その賞品にはは、誰かが自分のことを思いながら用意してくれたという願いが込められてあり、この手に届くところに様々なご縁をもたらしてくれる意味あるものです。遊雲さんは、「何をもらったか」ということよりも、その「もらえたもの」に込められた願いや意味を見ておられたのかもしれません。

私たちはどうしても、「あれが欲しい」「これが欲しい」と欲を燃やし、自分の願いがかなわなければ、つい愚痴をこぼしてしまいます。自分の思い通りのものを手に入れることだけではなく、今、自分に与えられているものの中に、どんな願いがあり、どんな意味があるのかに出遇っていくところに、本当の幸せのヒントが隠れているのかもしれません。  合掌

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