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お彼岸はどのように過ごしたらよいですか?

空海という有名なお坊さんが残された言葉にこのようなものがあります。

「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し」

この言葉は、何度生まれ、何度死んでも、生きる意味、死ぬ意味はわからないという意味であるといただいてます。

生きる意味も死ぬ意味というのは、なかなかわからないものですが、今こうして、それぞれが一生懸命に生きています。それは目的地もわからず必死に進んでいるようなもので、仏さまがご覧になれば、これこそ迷いの姿ということになるのでしょう。

浄土真宗(じょうどしんしゅう)で大事にしている阿弥陀仏(あみだぶつ)という仏さまは、そんな迷いをかさねる人たちが、命終わったときに帰ってゆける場所を用意してくださいました。それがお浄土(じょうど)です。

お経典にはその浄土は西の方にあると説かれます。

昔の人々は、東の空が明らんでいく希望に満ちた朝日に命の誕生を重ね、日中照りつけるギラギラした太陽に働き盛りの命の姿を。そして、太陽が夕日に変わり、寂しげに沈んでいく姿に命の終わりを重ね合わせたようで、東が命の生まれてくる場所、西は命の終わっていく場所と捉えていたといわれます。ピラミッドが都市から見て西に集中しているのもそのような理由ではないかと言われいます。

浄土は西にあるというお示しは、沈む夕日を眺めながら、大切な人もああやっていつか命終わっていかないといけない。私もまた命終わるときがくる。しかしその先には真っ暗闇の地獄があるのではなく、あたたかな浄土があるのだと思ってくれよという仏さまのお勧めであるといただいています。

さて、とても話が遠回りしてしまいましたが、この西方の浄土のことを、浄土真宗では彼岸(ひがん)といいます。

彼岸とは、時期をあらわす言葉ではなくて、私たちの命の帰る場所として阿弥陀仏が用意してくださったお浄土という世界をあらわす言葉です。

そして、太陽がちょうど真西に沈んでいくのが、秋分の日と春分の日の年に2回です。この日を真ん中において、前3日、後ろ3日を加えた1週間を、西方の浄土(彼岸)に思いをかける期間であるとして「お彼岸」といいます。

そのような意味合いから、お彼岸にお墓参りに行くことも大切ですが、沈みゆく太陽に、大切な人の命・私の命を重ねて、命の行方を思う。その先にあるお浄土を思う。それがお彼岸の過ごし方だろうと思います。

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