マダガスカル旅行記
INFORMATION「マダガスカル」アフリカ大陸の南東海岸部から沖へ約400キロメートル離れたところにある島国。日本の1.6倍の面積がある。人口2,843万人。公用語はマダガスカル語、フランス語。国民の約79%が1日1.9ドル以下で生活する極度の貧困状態にある。慢性栄養失調率が世界で4番目に高く、5歳未満の子供の40%が発育障害に苦しんでいる。首都アンタナナリボは人口約370万人の大都会であるが、インフラ整備が進んでおらず、市内のいたる所が非衛生な状態。平均寿命は男性64.1歳、女性66.6歳、乳幼児死亡率は日本の2に対し50。妊産婦死亡率は日本の5に対して335。
外務省ホームページ参考
マダガスカル12日目。フィアナランツォアという街。天気は晴れ。
ここからFCE鉄道という列車が走っている。この街を出発した列車は山奥にどんどん入っていき、163キロ先の東海岸マナカラという町まで17時間から遅ければ24時間かけて行く。人間が走った方が早くつく計算になるのだが、のんびりと走る鉄道だからこそ、車窓からの美しい景色と現地の人との触れ合いを楽しむことができると、ディープな旅行客の間で密かに人気となっている。
朝6時半。出発駅に到着。係の人に言われるがままチケットを買う。90000アリアリ(3千円)。値段が高いと思ったら1等車の席だった。席に座る道すがら見た2等車は暗く、身動きが取れないほどごった返していた。1等車は明るく綺麗で一人一席あてがわれている。席のだいたいは既にフランス人観光客で埋まっていたので、2等車に乗ればよかったと後悔した。
列車がゆっくり走り出した。コトントトンと心地よい音を立てながら走る。 市民ランナーくらいの速さで走る。線路沿いは上も下も遠くも近くも人でいっぱい。列車が通る時間に合わせて集まったのか、暇で一日中ずっとそこにいるのかわからないが、子どもたちはみな笑顔で手を振り、大人たちは何考えているかわからない顔で手を振ってくれる。天皇さまが乗るお召し列車みたい。雅子さまになった気分で品良く手を振ると、みんな満面の笑顔でふりかえしてくれた。とりわけ子どもたちの笑顔はよくみえた。
車窓から見える景色は、素朴な田園風景で、日本の原風景のよう。水が張って稲が育っている田んぼもあれば、天地返しが済んだところもあった。途中、駅に止まると、1時間以上は停車する。駅といっても敷居があるわけではなく、ホームには人や犬や猫やニワトリやアヒルなどが一緒くたになって溢れている。この国は人も犬も猫もニワトリもアヒルも子どもが多い。売り子がバニラ、エビ、サンドイッチ、肉、バナナなどを頭に乗せて
回ってくる。遊んでいた子どもたちは列車の窓に近づいて、観光客に「マダム、マザー」と呼びながら手を伸ばしている。それに気をよくしたのか、私の隣に座っていたフランス人女性が、持っていた小さいバナナを半分にいくつも切って、鳩に餌やるみたいに撒いていた。
パンがいっぱい入った皿を頭に乗せて売り歩いていた女の子が突然びっくら返り、辺りに飛び散った。大喜びで犬が駆け寄ってくると、女の子は声をあげて泣き、犬を追い払い落ちたパンをもう一度皿に乗せた。涙を拭き拭き歩き出し、私の方に売りにきたが、私はそれを買わなかった。
列車は10ほどの駅に止まりながら、夕日が沈むよりゆっくり走り、夜7時にサアジーナカという田舎町に止まった。現地語のアナウンスが流れると、乗客はため息つきながら荷物をまとめて降り始めた。どうやら、ここから先は線路が壊れていて、今日はここが終点なのだそうだ。一緒に乗っていたフランス人たちが、車をチャーターして大きな街までいくから一緒に来ないかと誘ってくれたが、明日同じ電車で折り返す予定の私は、それを断り、この町で宿を探すことにした。
駅を出ると、町は真っ暗。ソーラーパネルを使って裸電球を灯している家が数件あるだけだった。暗闇に目が慣れると人は結構行き来しているようだった。宿をあきらめ野宿できる場所をさがしていると、家に泊めてくれる人に出会う。その人の名前はサネさん。
サネさん一家は、サネさん、奥さん、娘2人、息子2人、赤ちゃん1人、犬2匹、猫2匹、さらに生まれたばかりの子犬が3匹。木材とトタンで作られた家だが、電気がついてるからこの辺りでは裕福な家なのだと思う。晩御飯にスパゲティの入ったスープをご馳走になる。お皿とスプーンの間を大きなゴキブリがどこかへ走っていった。薄味。食べ終わるとすぐ寝床に入る。布
カーテン一枚挟んだの向こうでは、家族が川の字ではなく、横や縦や斜めに寝てゲラゲラ仲良く話している。21時には電気が消えて静かになる。22時。大雨。トタンの屋根が大きな音を立てる。雨漏りの跳ね返りを身体に受けながら寝る。
10月18日(木)
外が騒がしくなって目が覚める。すっかり雨は止んでいた。まだ5時半。この国はどこも朝が早い。泊めてもらった家を後にして、7時発のFCE鉄道に乗る。今日は2等車。暗い車内に現地の人が乗れるだけ乗ってくる。逆さ吊りにされたニワトリも乗ってくる。
私はボックス席の窓側に、進行方向に向かって座る。隣は高校生くらいの女の子とその子のお母さん、向かい側には小学生の少年と青年が2人。通路にも荷物を椅子にして人が座る。隣のボックス席には、幼児を4人連れた家族が座る。
出発前、目の前の少年が窓を挟んで、お母さんと長々と別れを惜しんでいた。お母さんは5000アリアリ(150円)を渡し、彼は大事そうにズボンのポケットにしまっていた。電車が走り出すとニワトリや、食べ物、ションベン、汗などが混ざったような臭いが窓の外に消えていった。
少年は、わずかに開いた窓に顔をつけ、夢でも叶ったかのように景色を恍惚と眺めている。目が合うと真っ白な歯を見せて輝くように笑う。隣のお母さんは、乳を子どもをあやす道具みたいに出したりしまったりしながら、最後には出しっぱなしにしていた。他の家族は蒸した芋を食べていた。隣の親娘は私が貸したイヤフォンを片耳ずつはめて、曲に合わせて踊っていた。曲はコンプレクスの「恋をとめないで」。
途中の駅につくと、それぞれ窓の隙間から買い物をする。少年は大事にしまっていた150円でバナナを3房、隣の親娘はパンを買った。そして彼らは嫌な顔を一つせず、惜しみもせず、私にそれを振る舞った。慌てて私は自分のリュックをまさぐり、お返しになるものを探したが何もなかったから、ペットボトルの水をあげ、携帯の充電をしてあげた。
暑すぎる日差しが陰り、雨が降り、また晴れて、夕日になり、夜になった。みんな疲れ果てていた。21時、フィアナランツア到着。みんな足早に降りる。目の前の少年は履いていた運動靴の片方の紐を抜き取り、買い込んだバナナを手際よく結びつけて、肩にひょいと抱えて消えていった。電車を降りると寒いくらいだった。
2等車は乗り心地も悪く、狭く、臭く、辛い時間ではあったが、こちらの人々の煮汁のようなものをすくいとって、有難くいただいたそんな気分になった。
駅を出て、一昨日と同じホテルにチェクインし、すぐさまレストランPetite Bouffeに走り出した。FCE鉄道に乗る前の日、ここのバニラアイスを食べたら、ぶっ飛ぶほど美味かった。そんなもんだから麻薬でも打たれたかのように溢れる唾液を抱え、店に急いだが、時間が遅く閉店してた。
疲れが余計に襲って来て、イライラしながら代わりの店に入る。牛肉のスープとカルボナーラとビールを頼む。くっそまずい。肉のスープは頑張って食べ、パスタは全部残した。
ホテルに戻り、ベッドに沈む。テレビをつけると異国の番組が流れる。何を言っているかわからない。変な番組。こんな光景が時々、日本でも夢に出てくる。
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