無明長夜のともしび
弥陀(みだ)の誓願(せいがん)は無明長夜(むみょうじょうや)のおほきなるともしびなり。なんぞ智慧(ちえ)のまなこ闇しと悲しまんやとおもへとなり。 尊号真像銘文(そんごうしんぞうめいもん)
南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)とは、「あなたを救う弥陀(みだ)はもうここにいるよ。かならずたすけるから、私にまかせなさい」という阿弥陀(あみだ)さまの誓いの名のりであり、呼び声です。阿弥陀さまが私の口(声)を使って名のり・呼びなさるのが「ナンマンダブ」と称えるお念仏です。
私たちはいろんな心持ちで「ナンマンダブ」とお称えされると思います。どんな心持ちで称えようとも声となって出てくる「ナンマンダブツ」は阿弥陀さまの名のりであり呼び声です。大切な人を亡くして寂しいな、悲しいなと称える「ナンマンダブ」は、大切な方をなくして悲しみにくれるあなたを、必ずたすけるという阿弥陀さまの呼び声であり、宝くじを仏壇に置いて、宝くじ当たってくれという気持ちでとなえる「ナンマンダブ」は、宝くじあたれと願う煩悩を抱えたあなたの命を見捨てはしないという阿弥陀さまの呼び声です。阿弥陀さまは、どうあがいてもさとり(安心の境地)にいたることができず、何度生まれ変わりしようとも迷いの世界に身を置き、不安や苦悩を抱えて生きねばならない無明長夜を生きる私に絶えず名のり続け、呼び続け、大きな灯火となってくださいます。
詩人の栗原貞子(くりはらさだこ)さんをご存知でしょうか。1913年に広島で生まれた彼女は、戦中から反戦の意をとなえ、原爆投下の際は爆心地から4キロの自宅で被爆されました。そういった経験を通して戦後は平和活動に尽力されながら、2005年に92歳で亡くなられるまで、たくさんの詩を残していらっしゃいます。栗原さんの代表作に「生ましめんかな」という詩があります。
「生ましめんかな」
こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちはローソク一本ない暗い地下室をうずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりでどうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。と、
「私がです、私が生ませましょう」
と言ったのはさっきまでうめいていた重傷者だ。
かくて暗がりの地獄の底で新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
原爆投下後の地下室の生々しい息遣いが聞こえてくるような詩です。地獄の底のような地下室で、産気づいた妊婦さんはどれほど不安だったでしょうか。また、周りにいた方々もどうしていいかわからず不安だったことでしょう。そんな中に響いた「私が産婆です、私が生ませましょう」という産婆さんの誓いの名のりは、大きな大きな輝きを放ったに違いありません。この詩を読みながら、この産婆さんの名のりは、南無阿弥陀仏のような名のりであったと感じました。
南無阿弥陀仏は、無明長夜の不安をいきる私に届いた「あなたを救う弥陀はもうここにいるよ。かならずたすけるから、私にまかせなさい」との阿弥陀さまの誓いの名のりであり、人生の大きなる灯火となってくださいます。称名
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