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カシスオレンジ

2ヶ月くらい前の夜8時。

責め立てられていた仕事がポカンと空いて、心までポカンと空いて、ふらふらと家路についていた時、携帯が震えた。Tちゃんからの電話。

「今飲んでるから来ないか?」

Tちゃんは、仲良しの飲み友達。年齢は忘れてしまったが、10個は上だと思う。敬語も気も遣ったことはない。最近ようやく仕事を見つけて(柄にもなくホテルマン)、少し忙しそうだけれど、よくこうやって連絡をくれる。人づてに聞けば、一人で飲む時はいつも泣くのだというが、私の前では泣いたことはない。

「すぐいく」と返して、回れ右で方向転換。さっき来た道を少し違った気分で引き返す。やけに月が綺麗だったことを覚えている。まあ、ポカンと心が空いた日はだいたい綺麗な月が浮かんでいるものだけれど。

場所を尋ねると、今はコロナがあって外で飲めないから友達の家で飲んでるという。後ろでは賑やかな声がしていた。30代になってめっきりやらなくなった宅飲みだと聞いて、心なしかわくわくした。

教えてもらったアパートに着いた。Tちゃんは表に出てきてさえくれない。電話で「一階の手前から二番目の部屋」とだけ教えてもらった。

田舎の住宅街にある年季の入った二階建てのアパートで、部屋の入り口が並ぶ側は田んぼに面していたように思う。暗くてよくわからなかったが虫の声がしていた。

ドアを開けると、狭い玄関には男物と女物の靴が散乱してて、入ってすぐにキッチンがあり、換気扇の下の二口のコンロには、吸い殻がたくさん突き刺さったハリネズミみたいな灰皿が置いてあった。

奥のガラス障子を開けると楽しそうに飲んでいるTちゃんが「遅かったね!」と迎えてくれた。Tちゃんの友達が「はじめまして」と手を差し出してくれたので握手した。ええ歳のお兄ちゃんで、指を怪我していた。彼は甲本ヒロトみたいな笑顔をする。そして甲本ヒロトみたいに自由に身振り手振り話をし、楽しげに酒を飲む。その姿を彼女さんは、ニコニコしながら見つめ、言葉少なに横に座っていた。二人の姿が睦まじい。この部屋で同棲してるという。

ここに来る途中にコンビニで買ってきたものを広げると、プレモルじゃねーかーと、みんなとても喜んでくれた。

6畳か8畳ほどの部屋に所狭しと生活用品が広がっていた。化粧品、洗濯物、下着、洋服、仕事服、充電器、酒のビン、マンガ、ほかにもたくさん。なんとか自分の座るところを確保した。でも、彼氏さんのものと彼女さんのものが、カシスオレンジみたいに混ざり合っていて、これをエモいというのかと思いながら、なにせ居心地がよかった。

トイレから戻ってきた彼氏さんが、こちらの部屋には戻らずに台所の換気扇の下でタバコに火をつけたものだから、私もその横にいき、一本もらって、たわいもない話をした。しばらくして、彼女さんが「明日のお弁当の支度をしちゃうね」と、エプロンをつけ、トントントントンと包丁を使いはじめた。彼氏さんは彼女さんの横顔をみながら、吸い始めたばかりのタバコをすぐにハリネズミに突き刺した。

end

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