遺品整理
父が亡くなって四ヶ月、そろそろ遺品を整理し部屋を掃除せねばと思い重い腰をあげる。一つとっては手が止まり、一つ取っては手が止まる。ああ、家族を亡くした人はみんな、こんな経験をされているのか、とため息ひとつ。
父の部屋には驚くような宝ものはなく、エロ本の一つもなかった。正直ホコリかぶった箱を見つけるたびに、真面目な父の裏の顔を知るのではないかと少しドキドキしながら開けていたから、それはそれでつまらなかった。
なかでも、やけに目につくのはミスプリントの紙で、パソコンやプリンターの扱いが苦手だった父が悪戦苦闘している姿を遠目に見ていた。パソコンの使い方を教えてくれと言われたこともあったが、不機嫌そうな表情で答えていた自分を思い出した。
また本棚の奥からは、立派な焼酎の瓶が出てきた。貼られた白いラベルには”信暁、20歳の記念”と書かれていた。父と酒を飲んだのは人生で2回。はっきりと覚えている。1度目は私が23歳の時だった。その春から京都の仏教学院へ入学するため部屋を探しに二人で京都へ行った。その夜に祇園にある大衆居酒屋で飲んだ。2回目は昨年の4月か5月くらいだったように思う。晩ご飯のあとに珍しくビールが飲みたいと父がいうものだからグラスを取り出し乾杯した。本棚から出てきたその記念の焼酎を見ながら、一緒に飲まないと意味がないではないかと思った。
他にも懐かしいものがたくさんあって、それらが私の手を止めた。
感謝離(かんしゃり)という言葉を新聞で読んだことがある。断捨離をもじったもので、亡くなった方が残した品々に「ありがとう」と感謝を言いながら捨ててゆくというものだ。今こそ感謝離をする時だと一つ一つに「ありがとう」といって捨てていくのだが、いつのまにか「ありがとう」が「すまんかった、ごめんな」に変わる。こういう時、悪い記憶はどこかへ行き、いい記憶だけが残るのだから不思議だ。
さてさて、私はこの後悔の教訓を次に生かさないといけない。具体的には母に優しく接するということ、そして私もいつ死ぬかわからないから部屋のエロ本を処分すること。しかしこれがなかなか難しい。今日も母にキツくあたり、エロ本の処分も“明日も生きているはず!”と先延ばした。そういう時に、こいつ(私)は本当に愚かだと心から思うのであった。
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