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初代坊守 椋貞子(むくさだこ)往生

去る5月14日早朝、願生寺初代坊守であり、母である椋貞子が往生いたしました。享年106歳でした。17日に通夜、18日に葬儀を勤めましたところご門徒の方々、寺院関係の方々などお参りいただき、また、過分な御仏前を賜り有難うございました。水引地区、港地区、遠方の方々にはお知らせが遅れてしまいまして申し訳ありませんでした。

 母は36歳で初代住職・椋磐山(むく・ばんざん)と結婚し、坊守としてつとめてまいりましたが、53歳の時に磐山が往生し、その後得度(どくど)して住職のいない願生寺を支えてくれました。当時(昭和45年頃)は今のようにお寺での法事ではなく自宅での法事ばかりでした。乗り物に乗れなかった母は歩いて各家を回って法事を勤めていました。お寺から唐浜、唐浜から月屋、月屋から寺へ合計10キロ位の道を歩くこともありました。法事のご法話は歩きながら覚えたそうです。何事も不便な時代に住職のいないお寺を支えることがどれほど大変だったろうかと思います。

 私が結婚してからは前坊守としてずっと手助けしてくれました。令和元年に私の入院と一緒に母も入院し介護施設にもお世話になりましたが、昨年6月末に自宅に迎えることができました。介護は大変と聞いていましたが、食事は自分で口に運び、耳は遠かったですが、痴呆も軽いもので、お正信偈も本を見ずにびっくりするくらい正確にお勤めしていました。ですからまだ2年位は大丈夫だろうと思っていました。

 異変は亡くなる一週間程前。熱っぽくなり痰が絡むようになりました。往診してくださった先生に「肺炎です。今夜が峠でしょう」といきなりの宣告を受けました。そしてその先生の言われた通り、明け方呼吸が止まってしまったのです。

 母が往生して1ヶ月がたった今も母の部屋の前にくると「今どうしているかなー。あっ、いないんだ。」の繰り返しです。六十年の同居でしたからそう簡単にはいきません。令和2年に前住職をそして今回、母を続けて見送り淋しくなりましたが、倶会一処(くえいっしょ・ともに一つの処で会う)のお浄土で再び会えることが約束されていますから、それを楽しみに、その時まで今を大切に歩いていきたいと思います。

 本当に永い間大変お世話になりました。母に変わってお礼申し上げます。

坊守 亀田郁子

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