掲示板の言葉 11月
「レントゲンもCTもMRIも 心の中までは映らない」
サッカーに明け暮れた高校時代。三年生になり、最後の大会が目前に迫っていました。
これまでの厳しい練習も、きつい走り込みも、先輩後輩の厳しい上下関係も、すべてはこの大会のためだったと言っても過言ではないほど、私たちにとって特別な大会でした。
そんなある日、練習中に相手選手と接触し、膝をひねってその場に倒れ込みました。病院へ運ばれ、レントゲンやMRIを撮りました。診察室に呼ばれると、先生の前のモニターには、先ほど撮影した私の膝が映っていました。画像は驚くほど鮮明でした。先生がマウスを動かすと、膝の内部がさまざまな角度から映し出されます。
「これが骨です。これが筋肉です。ここが靱帯です」
そう一つひとつ説明されたあと、告げられた診断は、前十字靱帯断裂、内側側副靱帯損傷、半月板損傷。手術が必要で、全治十か月。その瞬間、高校三年間ずっと目指してきた最後の大会に出られないことが決まりました。
私は呆然としながら、モニターに映る自分の膝を見つめていました。骨も見える。筋肉も見える。切れた靱帯まで見える。こんなにも鮮明に、体の中を映し出すことができる。けれど、ここには一つだけ、映っていないものがありました。
高校三年間をかけて目指してきた大会に出られない。その悲しさも、悔しさも、どこにも映ってはいませんでした。
レントゲンも、CTも、MRIも、どんな最新鋭の機器を使っても、心の中までは映してくれません。それは、私たちが抱えている悲しみや苦悩を、誰かにすべてわかってもらうことはできない、ということなのでしょう。
いえ、それ以前に、私たちは自分自身でさえ、自分がどれほど深い悲しみを抱えているのか、どれほど深い苦悩や愚かさを抱えているのか、そのすべてを知ることはできないといえるのではないでしょうか。
浄土真宗の仏さまを、阿弥陀仏と申します。阿弥陀さまは、そんな自分ですら知り得ない私のすべてを見抜かれ、「苦悩の有情」とご覧くださいました。
そのうえで、そのまま救うとおっしゃり、この私をまるごと抱きとってくださいます。
称名






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